2006年3月10日金曜日

国家の二重の罪


 今日は長野地裁での中国人強制連行・強制労働事件の判決を傍聴。9年越しの裁判の判決の日。信州大学の日本言語文化講座では、戦時下の中国人、朝鮮人強制連行、強制労働についての証言の記録、保存という側面から支援協力してきた。 結果だけ見れば、訴えの棄却という判決は残念。とはいえ今回の判決では強制的に連行、苛酷な条件で労働を強いた被告、国と企業の行った歴史的な事実を認めている。 裁判長は「あくまで個人的な意見」と断りつつも、国が犯してきたこの事件をずいぶんとひどいことをしてきたと述べた上で、個人的には「勝たせたい裁判」とさえ法廷で述べていた。 しかし、責任を問うことのできる有効期限の問題、そして戦前の法制度の上では、公務員が犯した損害に対して国家が賠償責任を負わない原則であったこと、これらの問題を十分に越えるだけの法的な論理が立てられなかった棄却の理由を述べていた。 つまり国、及び企業の犯してきたことは「黒」であるが、それに対して責任をとることが現在の法においては十分できない。結果的には国の責任を問われない、という判決となった。 けれど、これは決して国や企業が「無罪」であることを意味しない。特に国は過去に与えた損害が事実と認定されつつ、それに対して責任をとっていないということ、さらには、その責任をきちんと負うための法制度を整備することを怠けてきたということ。いわば二重の意味で「有罪」を宣告されたようなものではないか。